トップページに戻る
  少年リスト   映画リスト(邦題順)   映画リスト(国別・原題)  映画リスト(年代順)

Jungle 2 Jungle ジャングル2ジャングル

アメリカ映画 (1997)

サム・ハンティントン(Sam Huntington)が主演する 『僕は、パリに恋をする』(1994)のリメイク映画。TVがメインのコメディアン、ティム・アレンが共演。サム・ハンティントンは映画初出演・初主演だが、他の主要俳優は全員TVの常連ばかり。『ぼくのエリ 200歳の少女』(2008)のリメイクの『モールス』(2010)が旬の映画俳優を揃えたのとは大違いだ。そのため、ステファン~リシャールの「ニヒル男~ダメ男」のペアが、マイケル~リチャードの「大騒ぎ男2人」のペアになってしまい、その大げさな演技で、言葉の面白さが目立たなくなってしまっている。フランスとアメリカのコメディに対する感覚の違いと言えば それまでだが… さて、『ジャングル2ジャングル』のリメイクでは、冒頭と最後の原住民村での内容はほぼ踏襲されている。それが、パリ、あるいは、ニューヨークに着くと一変。主人公のミミ・シクのパートでは、①異文化との遭遇の場面は踏襲されているが、②カレンとの「恋の逃避行」がなくなり、③ロシア・マフィアとも関わりを持つ。さらに、④奔放そのものの性格のはずが、最初から融和的で、映画の進行につれてどんどん気弱になる。もう1人の主人公マイケルのパートでは、①ミミ・シクとの交流の前半は踏襲されているが、②後半はカレン問題が半減して「親」としての出番が減り、③ロシア・マフィアとの交渉はフランス版と全く違った展開を辿る。カレンを演じているのは、リーリー・ソビエスキー。イライジャ・ウッドの相手役となった『ディープ・インパクト』(1998)以降、TV子役から一気に映画俳優になった女優だ。『ジャングル2ジャングル』は、その1年前で13歳。とても可愛い。彼女は、フランス版と違い、ミミ・シクがニューヨークにやって来てすぐに会う。そして、ミミ・シクが好きになる。だから、遊園地で親しくなるシーンはない。そして、ミミ・シクとの駆け落ちもカットされた。マイケルの婚約者シャーロットは、やり手のファッションデザイナー。オリジナルのシャルロットとは正反対の積極的な性格だ。類似点は、マイケルを本当に愛しているかよく分からない点。あらすじでは、通常と違い、『僕は、パリに恋をする』との違いに焦点を当てる(青字は、相違点についての解説)。写真でもはっきり区別できるよう、青枠写真は、フランス版とほぼ同じ内容の場面、黄枠写真は、行動は似ていても状況が異なる場面、赤枠写真は、全く異なる場面とする。

南アメリカの北端にあるベネズエラの山奥に、現地人と一緒に育てられ、現地名しか持たない少年が、初めて会った父と一緒に、父の住むニューヨークを訪れる話。少年の夢は自由の女神を見ること。そして、村長からは、「女神の火を持ち帰る」という特別な任務も課せられている。ニューヨークに着いた当初は、異文化との衝突がそのまま行動に出てしまい、様々なトラブルを引き起こす。少年の名はミミ・シク。自由の女神に向かう時には、ジャングルにいた時と同じように、顔にペイントを塗り、腰巻1つの裸になり、弓矢と吹き矢を持って出かける。しかし、意気込みとは違い、女神の火は本物ではなかった。少年の父はマイケル。妻が家出してベネズエラに去ってから13年。売れっ子のファッション・デザイナーと結婚することになり、離婚手続きのためにベネズエラを訪れて、自分に息子があることを初めて知らされる。先物取引のプロで、旅行中、僻地にいる関係で、コーヒーの先物取引に失敗し、コーヒーの価格が下がったことで負債を抱え込む。だから、ニューヨークに戻ったマイケルは、ミミ・シクだけでなく、コーヒーをどうするか、婚約者シャーロットとどう付き合うかの三重苦に悩む。マイケルの同僚リチャードは、マイケルが長年一緒に組んできた相棒。コーヒー取引での失敗をカバーしようと、マイケルの助言も聞かずに独走し、怪しげなロシア人にコーヒーを売りつける。それが、自分の家族を巻き込む事態に発展する。そのリチャードには2人の子供がいるが、姉のカレンはミミ・シクより1つ年下。最初にシャーロットのスタジオで見た時からミミに惹かれ、最後は、ミミの部族の名前までもらう。最後に、シャーロットは、いわゆるキャリア・ウーマンで、毎日忙しく、ミミ・シクとも折り合いが悪い。自分の仕事を優先させる姿勢から、最後にはマイケルから見放される。こうした5人が巻き起こす出来事は錯綜し、多岐にわたっているが、オリジナルのフランス版ではそれを90分という短い時間に上手に圧縮していたが、アメリカ版では時間が105分と15分増えた割に、幾つかの重要シーンが削除され、間延びした構成となった。コーヒーの先物取引に関わるロシア人とのやり取りや、最終的な損益計算にも納得できない部分がある他、映画の主役がミミなのか、マイケルとリチャードなのかはっきりしない展開もマイナス要因だ。非英語圏でのヒット映画のリメイクは、黒澤/三船の『用心棒』→『荒野の用心棒』を筆頭に、香港映画『インファナル・アフェア』(2002)→『ディパーテッド』(2006)、スウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』(2008)→『モールス』(2010)、フランス映画『最強のふたり』(2011)→『The Upside』(2017)など、様々な例がある。IMDbでの評価は、それぞれ、8.0、8.5、7.2、未定だが、『ジャングル2ジャングル』は5.1。そのレベルの完成度だ。

サム・ハンティントンは出演時14歳。フランス版のルドウィグより1歳年上だ。背が高くて金髪・色白のサムは、小柄で色黒のルドウィグとは大違い。その分、野性味が減っている。撮影のせいもあるが、表情がワンパターンなのが気になる。本人のせいではないが、ニューヨークの場面後半での演技は、アメリカのホーム・ドラマ的で、ミミ・シクらしくない。


あらすじ

映画の冒頭、タイトルのバックに映されるミミ・シクの「雄姿」は、断崖を登るシーンに集約されている(写真、矢印はミミ・シク〔当然、スタント〕)。フランス版では、その後のミミ・シクを思わせる様々なシーンを細かなカットで見せていたが、アメリカ版では壮大な岩峰に挑戦する。フランス版の崖はもっと登りやすかったので、ミミ本人でも登れたし、それがエッフェル塔登りにも直結していた。しかし、ここでは、本格的なクライマーでないと登れないような垂直の崖を登らせているが、それが自由の女神とは一切結びつかない〔ミミは、自由の女神の本体を登らず、頭の上の王冠の展望台から頭の上に出る〕。要は、何のためにミミのロッククライミングを見せるのか、意図が分からない。
  

場面はニューヨーク。コーヒーの先物売買で、マイケルが300ロット(5100トン分に相当)を94.75セント〔1ポンド当たり〕で買う。それに対し、リチャードは「自殺願望〔death wish〕」だと批判。後始末をせずにカラカス行きの飛行機に向かうマイケルに、「5100トンのコーヒーを僕に押し付けて、自分は行っちまうのか?」と文句を言う。マイケルは、「これまで僕が耐えてきたのは、お前さんがウォール街のNo.1アナリストだからだ」と持ち上げる。「この20年 尻拭いばかり させやがって!」と怒鳴ったフランス版のステファン/リシャール関係とは大違いだ。だから2人は同じ服を着ていない。ニューヨークでのシーンはフランス版にはなく、逆にフランス版にあった機内でのシーンはアメリカ版にはない。従って、場面はいきなりカラカス空港になる。そこにはベネズエラの弁護士が待っている。そして、「今日、奥さんからこの手紙を受け取りました。カナイマに行けなくなったので、リポ・リポまで来て欲しいとのことです」と説明(1枚目の写真)。マイケルは文句を言うが、従わざるを得ない。フランス版では、書類そのものがまだ妻に届いていない。郵便局まで取りに来ないからだ。だから、弁護士は、妻がリポ・リポにいることも知らない(フランス版の弁護士は すごく個性的)。カラカスで1泊したマイケルは小型機でカナイマに飛ぶ。フランス版ではカナバヨに飛ぶ。カナイマは国立公園の名称で地名ではない。カナバヨは架空の地名。そういう意味では、両者は似ている。カナイマでは土砂降り。マイケルは小屋のような店で電話を借りて、リチャードに電話し、指示するまでコーヒーを売るなと命じる(2枚目の写真)。フランス版で似ているのは、掘っ立て小屋の雰囲気と土砂降りだけ。フランス版では、この小屋が郵便局で、そこで初めて、妻が奥地のリポ・リポにいることを知らされる。アメリカ版では、単なる中間点で、メインはマイケルとの電話。だから、写真は黄枠とした。マイケルは モーターの付いた木のボートでリポ・リポに向かう。あまりに暑いのでハンカチを川の水で濡らして汗を拭く。2度目に同じことをしようとすると、船頭が「俺なら やらないね」と言う。「そうかい。何で?」と平気で川に突っ込んだマイケルの手にピラニアが噛み付く。しばらくして、舟はリポ・リポの集落に着く(3枚目の写真)。マイケルは、「すぐ戻るから」と言って、舟から降りる。ピラニアは、アメリカ版だけのエピソード。リポ・リポは、アメリカ版の方が大きい。フランス版では仏領ギニアだが、アメリカ版ではベネズエラ。いずれも架空の集落なので大きな違いはない。
  
  
  

舟から降りたマイケル。全く場違いな服装の白人を見て、子供たちが寄って来る。「私は、マイケル・クロムウェル。パトリシア・クロムウェルを捜してる。パトリシアだ。パトリシア・クロムウェル。女性だ。私みたいだが、もっと大柄なんだ」と手で示す(1枚目の写真)。英語など通じないが、白人は他にいないので、「パリクー」のことだと思った子供が小屋まで案内する。フランス版では13年前の写真を見せる。それに、パトリシア役のJoBeth Williamsはティム・アレンより背が低いので「大柄」という表現は変だ。妻と会ったマイケルは、13年ぶりの再会なのにロクに挨拶もせず、「昨夜、カナイマで会うんじゃなかったか?」と責め〔ニューヨークで、秘書がマイケルに、「カラカス着は午後6時です。カラカスで1泊し、翌朝カナイマに飛び、そこで会うことに」と告げていたのと矛盾する〕、妻は豚のお産だったと弁解する。マイケルは、妻が豚のお産なんかにかまけていると怒り、「12・3年前のこと覚えてるだろうが、ある日突然〔out of the blue〕、結婚して1年も経たずに、君は家を出て行った」と不満をぶちまける。パリクー:「だから離婚したい。で、慰謝料が心配なんでしょ」。「お互い、離婚したがってる。だろ?」。「お金なんか要らないわ」。金の亡者のマイケルは大喜び。自分の都合だけで、すぐカラカスに行って離婚届けにサインしようと言い出すが、明日は大事な儀式があるからと断られる。フランス版では、到着時がちょうど豚のお産中で追い出される。従って、「13年前の出奔への不満」は独り言。慰謝料への言及はなく、如何にもアメリカ的。舟は待ちきれず、出て行ってしまい、マイケルはリポ・リポに取り残される。妻が、「とても話しにくいことだけど、聞いてちょうだい」と話し始めようとすると、衛星アンテナを通じてパソコンがつながる。それからは、妻が何を話しても馬耳東風で、コーヒー相場の動きに一喜一憂。パリクー:「家を出た時は、1人じゃなかった」。マイケル:「やったぞ、97.25セントだ」。「あなたの息子がお腹に」。「欲張り過ぎか? 97.50セントまで待とう」(2枚目の写真)。そして、97.50になると、パソコンのキーを押す。「30万ドル。かなりの儲けだ」〔当時の相場で約3300万円〕。妻は呆れて途中で離れて行った。マイケルが気付いて追おうとパソコンを離れると、画面に「送信確認」の表示が出るが、マイケルは押し損ねたままバッテリー切れとなる。「なあパトリシア、何なんだ?」。「息子がいるって話したのに、聞いてすらなかった」。「いったい何の話だ? 息子だって?」。「あなたの息子よ」。「クレイジーだ! 信じられん! 何て言ったか分かってるのか? 許せん!」。「許せとは言ってない。でも、あの子のせいじゃないの。だから あの子を責めないで」。そして、「名前はミミ・シク。だいたいの意味は『猫のおしっこ』 ね」と付け加える。「自分でつけたのか?」。「6歳だったのよ」。この部分はフランス版を踏襲している。夜、マイケルは鍋を持ったミミに近付いていき声をかける。「パリクーから聞いたんだが、私が君の父親だ」。そして、「いい鍋 持ってるな」と言うと、ミミが現地語で何か言う。「英語、分かるかい?」。ミミは何故かイエスと答えない。そこで、英語が通じないと思った父は、(ミミが出来たことが)「残念〔regrets〕だ」〔失望感〕 とまで言ってしまう。ミミは、近くのハンモックで寝ていた女の子を起こし、鍋を渡してハンモックに入っていく(3枚目の写真、矢印は鍋)。フランス版と似ているが、「英語、分かるかい?」と訊くのに答えないのは奇妙。フランス版では、そんな質問はしないし、「残念」云々の言葉もない。ハンモックに入ってからのミミは、もっとイチャつく。
  
  
  

翌朝、ハンモックで寝ていたマイケルは妻に起こされ、びっくりして地面に落ちる。「大丈夫?」。「エアバッグを付けとかないと」。「ミミの話じゃ、昨夜、話したんですって?」。「父親だって言ったんだ」。「女の子に鍋を渡してたぞ」。「鍋を渡すのは、花を贈るようなものなの。愛のプレゼントね。あの子、すごくもてるの」。そして、「あの子、これから川に出るわ。一緒に行きなさいよ」と勧める(1枚目の写真)。2人は仲良くカヌーを漕ぐ。木に猿がいると、ミミは「バブーン」と教え、川に手を突っ込むと 「トゥーナ」〔父が手を突っ込むと、またピラニアに噛まれる〕、鳥のいる空を指して「ホーコ」〔フランス語では“H”は発音しないので、“Hoko”はオーコ〕。父は、「歌えない鳥は、“Hoko Ono”」と言うが、これは「Yoko Ono Lennon」にひっかけたものか? ミミは、「違うよ。ホーコはオオハシ。鳥はポンポコだ」と英語で訂正する。サム・ハンティントンの英語は流暢なので、訛りをつけずに訳す。それを聞き、マイケルは「英語 話せるのか?」と訊く。「パリクーに習った」。「じゃあ、昨夜の話 分かってたんだ」。父は後悔する。いよいよジャングルに入って行った2人。父が蛇を見つけて怖がると、ミミが吹き矢で首を射抜く。そして、ぐったりした蛇を持ち上げると、「バラドゥ」と差し出す(2枚目の写真)。「蛇怖いの?」と訊かれ、「いいや、噛まれるのが怖いんだ」。ミミは、父の手に蛇をポンと置く。「このバラドゥ、ほんとに死んでるのか?」と訊くと、「眠ってる。殺すのは食べる前」という返事。この下りは、フランス版の方がワイルドで面白い。ミミは、河原で火を起こし、蛇を焼いて父にも食べさせる。ミミは、自分の首にかかったペンダントを手に持ち、「これ、あなたの村にあるんでしょ?」と訊く。「そうだ。自由の女神って呼んでる」。「大人になったら、僕を、自由の女神に連れてってくれる?」(3枚目の写真)。「いいとも、大人になったら、自由の女神に連れて行こう」。ミミが「ワカタペ」と手を上げ、父はその手を「ワカタペ」と言って握る〔今夜の儀式でミミは大人になる〕最後の部分は、行き先がエッフェル塔か自由の女神か違うだけで原則同じ。
  
  
  

その後、ミミは昼寝に入る。すると、1匹のタランチュラが、砂の上で寝ているミミの上にいる。父は、「ミミ、動くな!! でかい蜘蛛がのってるぞ!!」と叫ぶ。すると、蜘蛛はその声に反応するように、結構なスピードで父の方に歩いて行く。「くそ、追っかけてくる。止まれ!!」。起き上がったミミに、「来るな! 自分でなんとかする。村に帰れ。危険だ」と言って、逃げ回る。行き場を失い、岸から突き出た丸太の上に乗る。蜘蛛がそこにも付いてきたので、バランスを失い川に落ちる(1枚目の写真)〔川に落ちるシーンで、丸太の上に蜘蛛が映っていない。ピラニアに襲われないのも変だ〕。ミミは、丸太の上の蜘蛛を籠に入れると、「叫ぶと、マティカは攻撃する。静かにしてれば、何もしない。でも、ククヴェはいつもいやな奴」と話す(2枚目の写真)。「ククヴェって?」。ミミが背後を指さすと、それは父に向かって真っ直ぐ泳いでくる大型のアメリカワニだった。父は、「ここは、悪夢だ!」と逃げ出す(3枚目の写真)〔逃げるシーンで、ワニが映っていない〕リポ・リポで最も面白いシーンなので、フランス版とほぼ同じだが、上で指摘したように、撮影が下手。逃げる主人公と、それを襲う動物が同じ画面に映っていないので迫力に欠ける。ミミが、タランチュラを手に持たず籠にいれているのも寂しい。2人は蜘蛛やワニとの共演が嫌いなのか?
  
  
  

その日の夜は「成人の儀式」。妻と一緒に座ったマイケルに、子供たちが「バブーン、バブーン」と声をかける。「胸毛が猿みたい」なので、これがマイケルの「名前」になり、ミミも「パパ」と呼ばず「バブーン」と呼ぶ。「成人の儀式」を受けるのは、ミミ1人。マイケルが、村長の言葉の意味を妻に訊くと、「ミミはもう子供じゃないって、森に話してる」という返事。しかし、マイケルには、これが「ミミが大人になった」ことを宣言する儀式だという認識はない。ミミは、村長の前に進み出て赤く焼けた枝を握る(1枚目の写真)〔フランス版と違い、煙が出ない〕。「これだけ?」〔息子が火傷したことに対する心配はゼロ〕。「いつか 部族の長(おさ)になれるよう、特別な任務が与えられるの」。その任務とは、自由の女神から火を持ち帰ることだった。それを聞いて笑う父。「担(かつ)いでるんだろ〔Guy doesn't kid around, does he〕?」。ミミが口を出す。「大人になったら、ニューヨークに連れてくって言ったじゃないか」〔ニューヨークという表現は唐突: 前は「あなたの村」と呼んでいた。それに、ワカテペで約束したのは、ニューヨークでなく自由の女神に連れていくことだった〕。「大人になったらな」。「この部族では 大人なの。それに、この子も、今、行きたがってる」。しかし、マイケルは、こんな時に、離婚手続きの方が重要だと主張する。「ニューヨークに連れて行く約束、したの? しなかったの?」(2枚目の写真)。「だがな… 僕は取引場に戻らないと。結婚もあるしな。明日連れてくのは無理だ」。「ここでは、約束したら 守るの。『だがな』 『明日』 『無理』… そんな言葉はミミには通じないの!」。ここから2人の口論が始まる。しかし、最後にマイケルの心を揺さぶったのは、ミミが、「ワカタペしたのに」と悲しそうな目で見て、背を向けて去って行ったことだった。フランス版と似ているが、最大の違いは、ミミのニューヨーク行きに、大きな使命が課せられたこと。そして、その対価として、将来の首長が約束されていること。これでは、ミミはこの村に骨を埋めるしかなくなる…
  
  

空港に着いたマイケルを待っていたのは、リチャードの衝撃的な言葉。「確認がなかったので売らなかった」「90セントを割り込んで、まだ下がり続けてる」〔購入した時は97.50〕(1枚目の写真)。そして、同行してきた裸のままのミミ・シクを「息子だ」と紹介する。「3日前にここを出た時は、息子なんていなかったろ」。「ところが、いたんだ。パトリシアの子だ」。フランス版との最大の違いは、ミミの服装。フランス版では、服を着せ、足にはサンダルも履かせている。しかし、アメリカ版ではリポ・リポにいた時のまま、腰布に裸足だ。これでは、マイケルの常識が疑われるし、現実にはあり得ない。3人は、その足で直接会社に向かう。ミミを秘書室に残し、「バブーンは、長(おさ)と戦いに行く」と言って社長室に向かう。そこからは、怒鳴り声が聞こえてくる。社長:「コーヒーは88セントだ。煉瓦みたいに落ちとる。明朝には85セントになっとるかもな!」(2枚目の写真)。さらに、「早急に事態を掌握しろ。でないと、窓から放り出すぞ!」とも。ミミは、父を救おうと、籠に入れて持ってきたタランチュラを放す(3枚目の写真)〔地面に降ろすまで蜘蛛がピクリとも動かないのは不自然→模型?〕。マイケルは蜘蛛の上に新聞をかぶせるが蜘蛛はそのまま社長の真下へ。社長は怒鳴り続ける。「何百万もの我が社の金でリスクを犯してる奴が、外国に行くなどもっての他だ!」。「そう、怒鳴らないで」。「ここは私の部屋だ! 好きなだけ怒鳴るぞ!」。大声につられて蜘蛛は社長の体を這い上がる。見かねたマイケルは、自分で奇声を上げて秘書室に蜘蛛を呼び寄せ、ミミに回収させる。「マイティカは長(おさ)を殺す」と言うミミに対し、父は、「戦いに行くとは言ったが、殺すつもりはない。ここじゃ、郵便配達だけが社長を殺すんだ」と諌める〔映画、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』のことか?〕フランス版では、3人が真っ先に向かう先は父のアパルトマン。婚約者に会うためだ。しかし、アメリカ版では順序が入れ替わり、先に会社に行く。それが、ビジネス優先のアメリカ流なのか? フランス版では、ミミは秘書と楽しいやりとりをするが、すべてカットされている。代わりに、ミミはタランチュアを刺客に送り出すが、フランス版では蜘蛛が大声に釣られて勝手に抜け出す。だから、ミミに殺意はない。子供が、簡単に人を殺そうとする脚本には賛成できない。
  
  
  

会社を出た3人が向かったのは、シャーロットのファッションデザイン・スタジオ。車がビルの前に停まった時、ミミは、サンバイザーに止まった蝿を、小さな吹き矢で仕留める。リチャードは、「ナイス・ショット」と褒めるが、父は、面白くなさそうに矢を引き抜くと、「しまっておくんだ」と叱るように渡す(1枚目の写真、矢印はハエ)。「シャーロットと先に話したい。しばらくしてから、ミミを連れて上がってくれ」。フランス版では、ミミが吹き矢を使うのは、父がアパルトマンに入った後。父に叱られることもない。マイケルがスタジオに入って行くと、カレン(リチャードの長女)が素敵なドレスを着て台の上に立っている〔マイケルとシャーロットの結婚式用のドレス〕。エレベーターで現れたマイケルを見て、シャーロットが「戻ったのね!」と走り寄ってキスする。ファッション・チャンネル用にシャーロットのプロフィールを作成に来ていたビデオ・スタッフも、それを撮影する(2枚目の写真)。マイケルからベネズエラ行きの顛末を聞かされ、お土産が子供だと分かり シャーロットはおかんむり。さっさと仕事に戻っていく。そこにミミが登場。美しいドレスを着たカレンを見て、一目惚れする。「テーブルの上の天使だ」〔テーブルのないリポ・リポにいたミミに、テーブルという単語が使える訳がない。美少女に対する「天使」という比喩的表現も使えるとは思えない〕。その言葉を聞いたカレンも、ミミの常識外れの格好にも関わらず、とても嬉しそうだ。父は、ミミをシャーロットに紹介する。シャーロットは、ミミをその日のディナーに招待し、「特に 好物はあるの?」と訊くと、ミミは「トカゲの内臓」と答える。ミミは、部屋に置いてあった観葉植物に向かっておしっこしようとし、シャーロットが悲鳴を上げ、父はトイレに連れて行く。「ディナーにも、その腰巻で来るの?」。「何か服を着せるよ」。父はミミに便器の使い方を教えて出て行く。しかし、ミミは、トイレの窓から自由の女神を見つけると、窓から出て、もっとよく見える位置まで歩いて行く。窓の外にミミがいるのが分かると、スタジオ中が大騒ぎ。父は、ミミを戻そうと窓を開けて外に出る。ミミはビルの角に立って、「自由の女神だよ、バブーン」と腕で指すが、今いる高さは15階くらい。それに庇の幅は1メートルほどなので、父はその場に固まってしまって身動きできない(3枚目の写真)。「死にそうだ〔I'm gonna die up〕。高いトコは嫌いだ」。ミミ:「ピナーレの秘伝。下は見ないで」。「言っとくが〔Just for the record〕、そんなのは秘伝でも何でもない」。戻った2人に全員から拍手(4枚目の写真)。カレンはすっかりミミが気に入ったようだ。シャーロットの場面はフランス版と大きく異なっている。①シャーロットと会うのは、マイケルのマンションではなくシャーロットのスタジオ。②シャーロットは「世捨て人」ではなく、バリバリのキャリア・ウーマン。③シャーロットとマイケルの会話内容も全く異なる。④ミミは自由の女神を見ようとビルの外壁を歩く(→最大の違いNo.1)。⑤ミミとシャーロットの会話内容が多い〔フランス版ではほぼゼロ〕。⑥ミミは依然として裸のまま、⑦カレンと非常に早い段階で出会い、しかも、最初からミミに惹かれる(→最大の違いNo.2)。
  
  
  
  

その日の夜。場所は、マイケルの豪華なマンション。ディナーの主賓は、ファッション雑誌ELLEのエディター。ミミはようやく服を着て、ディナーのテーブル・セッティングをさせられている。食事はケイタリングで、なかなか届かない。その間に、シャーロットは愛猫にキャット・フードを食べさせている。そこにミミが寄ってきて、「太った猫だね。僕たち猫食べるんだ」とエディターに話す。冗談だと笑い飛ばしたエディター。シャーロットも笑ったが、念のため、「私達は、猫なんか食べないの」と言い(1枚目の写真)、危ないので連れ去る。ミミ:「猫の仕事は、食料になること」。マイケル:「違うな。ここじゃ、猫の仕事は、ゴロゴロ寝て、股を舐めることさ」。エディターが、食事の入った紙袋を持って食堂に入ってくると、ミミが、皿に残ったキャット・フードを手づかみで食べている。それを見たエディターは「何てこと!」と絶句。ミミは「これ 美味しいね」(2枚目の写真)。1人は気絶し、エディターは吐く。ここまでの展開は、来客の有無を別にすれば、フランス版と非常によく似ている。2つのギャグはよく出来ているので、そのまま踏襲したのだろう。ただし、気絶や嘔吐はアメリカ版のみ。その後、ディナーがどうなったかは分からない。ミミがバルコニーにハンモックを吊って寝ていると、室内では、後片付けをしながらシャーロットがマイケルを責めている。隠し子があった挙句に、その子を連れて来たからだ。マイケルは、最後に、「ミミは、ちょっと来ただけだ。楽しい思いをさせたかった。終わったら、家に帰す。そしたら、元の僕たちに戻れる。2人だけで べったり暮らそう」と言って、シャーロットを納得させる。フランス版で、別な日に2人の間で交された会話をモディファイしたもの。父は、ミミのハンモックに近付くと、手に握っていた吹き矢をそっと取ると、上から毛布をかけてやる。そして、横のデッキチェアに腰を降ろすと、吹き矢を口にくわえて吹くと、反動で自分の足に刺さってしまう。矢には強力な麻酔薬が塗ってあるので、父は、チェアに座ったまま気絶。音で目が覚めたミミは、自分にかけられた毛布を 父にかけてやる(3枚目の写真)。最後のハンモックのシーンは、フランス版にはない創作。ここでは、父とミミとの間の、直接ではないが〔お互いに眠っている〕 暖かい交流が描かれる。フランス版のミミに、こうした「おセンチ」な面は全くない。この辺りから、アメリカ版では、ホーム・ドラマ的な要素が入り込む
  
  
  

明くる日の朝。隣の棟のマンションのベランダで、老婦人が寄ってきた鳩に、「ポッポちゃん。お腹空いたでしょ、ボンジュール」と餌をやっている。そこ向かって、ミミの弓矢が向けられ(1枚目の写真)、放たれた矢は、舞っていた鳩を射抜いて壁に突き刺さる。驚愕する老婦人(2枚目の写真)。騒ぎを聞き、「何が起きた?!」と飛んできた父は、急いでミミを室内に連れ込むと、「ミミ、こんなことしちゃいかん。ここじゃ、朝食に鳥なんか殺さん」と言い、朝食用のシリアルの箱を棚から取り出し、「子供はこれが大好き、キャプテン・クランチだ」。さらに、「上からかけるんだ」と牛乳パックを横に置く。少し口に入れたミミ(3枚目の写真)。父が去ると吐き出す。この連続シーンは、フランス版のほぼ正確なコピー。シリアルの説明が若干付け加えられている。老婦人のリアクアションはカット。
  
  
  

マイケルは、まだ寝ているシャーロットを起こし、「昼には戻る」と言って部屋を出る。そして、キッチンに戻り、ミミに、「自由の女神、いつ行くの?」と訊かれ、「明日」と答える〔昨日も、同じ質問に「明日」と答えていた〕。「今日、行くと言ったことは知ってる。だが、無理なんだ。バブーンは、今日、とても大きな取引がある」。「ミミも、バブーンと一緒に行く」。「一人で行く。連れて行きたいが、これは義務なんだ」。「『ぎむ』って、何?」(1枚目の写真)。「義務ってのはだな、ほんとはしたくない時に、仕方なくやることさ」。「分かった。バブーンは 『ぎむ』だ」。「それと、1つ約束してくれるか? もう動物を撃っちゃいかん。猫も食べちゃいかん」。父が出て行き、ミミが蜘蛛に餌をやろうとすると姿がない。ミミは室内を捜しまわり、シャーロットの寝室にも入って行く(2枚目の写真)。「マイティカ」と何度も呼びながら 下に隠れていないか捜す。シャーロットが体にかけていた毛布もめくり、驚いて飛び起きたシャーロットに、「いいプチプチだ」(3枚目の写真)。シャーロットは、「私のプチプチは二度と拝ませないからね、この野蛮人!」と怒る。その後、ミミはバルコニーから降りて行き、一人残されたシャーロットは、洗面を出たところで壁に張り付いたタランチュラを見つけ、悲鳴を上げてバスに閉じ籠もる。この部分も、フランス版とよく似ている。「義務」という言葉を伏線にする手法も同じ。父が出かけた後、ペットの蜘蛛がいなくなり、シャーロットの脚をみる場面も同じ。アメリカ版では、ミミが顔にペイントを塗るのはここから。フランス版では腰巻姿の時は常にペイントをしているので、アメリカ版でなぜこれまで素顔だったのが不思議だ。
  
  
  

ミミは、念願の自由の女神に向かって歩く。タイムズ・スクエアを通り(1枚目の写真)、途中で見つけた腹の空いた物乞いに、今朝獲った鳩を渡してやる(2枚目の写真)〔どうやって鳩を回収したのだろう??〕。リバティ島までは歩いていけないので、観光船の船尾にちゃっかりタダ乗りする(3枚目の写真)。フランス版では、エッフェル塔に行く前に、凱旋門からシャン=ゼリゼを歩くが、それに該当するのがタイムズ・スクエアと、凱旋門のあるワシントン・スクエア公園だ。フランス版と違い、マイケルのアパートの場所は不明だが、高級マンションなのでセントラル・パーク周辺とすれば、最初にタイムズ・スクエアに着くのは順当な道順だ。そこからワシントン・スクエアまでは道路沿いに3.6キロ、さらに、自由の女神行きのフェリーの出るバッテリー・パークの船着場までは3.9キロ。マンションからでは相当な距離だ。フランス版にあった『七年目の浮気』へのオマージュ・シーンは、せっかく本場のマンハッタンなのに、削除されている。
  
  
  

ミミは、自由の女神に登る。映画を観ている限り、頭の上の王冠の展望台までは、観光客と同じく塔内を登ったとしか思えない〔実際問題として、下半分の台座の部分は登ることができても、上半分の銅像の部分は滑って不可能だ/お金など持っていないので、どうやって入場したのだろう?〕。かくして、ミミは展望台の開口部から外に出る(1枚目の写真)。そして、冠の縁にぶら下がり(2枚目の写真)、腕力で這い上がって冠の上に座る(3枚目の写真)。しかし、せっかく登ったミミが がっかりしたのは、村長に持ち帰れと言われた「火」は、本物の火でなく銅製(金箔)だったこと。これでは持ち帰れない。フランス版では、ミミがエッフェル塔に登って行く雄姿に見惚れたものだ。しかし、アメリカ版ではあっという間に頂上に。しかも、目的は果たせない。映画の巻頭に高さ500メートルはありそうな垂直の岩壁を登らせたのだから、ここは、変な課題など止めて、キングコングのようにエンパイア・ステート・ビルを登った方が良くはなかったか?。
  
  
  

マイケルとリチャードが、コーヒーの売り込み先に向かおうとしていると、警察から会社に電話が入る。不法侵入でミミが捕まったのだ。ミミを引き取りに行った父は、「アパートで待ってろと言ったろ」と叱る。ミミは、先延ばしにされるので、行ったんだと反論。「いいか、ミミ、私はここで生きて行かないといかん。君が来たからといって、変えることはできないんだ」。「じゃあ、どうして僕を連れて来たの?」。「義務だから」(1枚目の写真)。「僕を 『きむ』 で連れて来たの?」〔以前、父は、義務の意味を訊かれ、「したくない時に、仕方なくやることさ」と説明していた〕。ミミはこの言葉に強く反撥する。そして、いきなり父から逃げるように走り出す。父は、「ミミ!」と呼んで追うが、ミミは車を無視して車道を横切り(2枚目の写真)、「違うんだ!」と言っても、「『ぎむ』 って言った!」と取り合わない。ここまでは、フランス版とよく似ている。ようやく捉まえた父に、ミミは「僕、ウチに帰る! ミミ・シクにいて欲しくないんだ!」と言うが、父は、「いて欲しいよ。悪かった。怒ったもんで、つい言っちまったんだ」と謝る。それでも、ミミは、「いつも怒るじゃないか。これするな、あれするなって」と反論。「ここは、ニューヨーク。恐ろしいジャングルだ」。「ミミ・シク、怖くない。大人だ」。「大人じゃない、青年〔adolescent〕だ」。「『せいねん』?」。「そうだ。奥さんもいない。養う家族もいない。何でも好きなことができる」。「それ、あなたのことだ」。「何だと? 違う、違う。私は青年じゃない、大人だ」。「僕もそうだ」。「ここでは、大人じゃない。腰布を付けて走ってる13歳の子供だ」。「僕も大人だ!」(3枚目の写真)。この押し問答は、ミミは大人だが、このジャングルでの慣わしを覚える必要があるということで決着する。捉まった後の会話は、アメリカ版の方が遥かに長い。フランス版では、父が話す「都会での生き方」に、ミミはすぐ理解を示すが、アメリカ版ではそこに至るまでに長いやり取りがある。どちらがいいかは別として、フランス版の方がテンポがいいのは確かだ。
  
  
  

2人は、ここでタクシーを拾い、フルトンの魚市場に向かう〔築地市場のような場所〕。そこでは、リチャードがイライラしながら待っていた。相手のロシア人は、魚臭い市場の中から専用のドアを開けて階段の一番上まで登った所にオフィスを構えていた。触れ込みは「キャビア王〔king of caviar〕」。2人は、ミミも連れて中に入る。頭がきれい禿げた大男は、3人が入るなり、「コーヒーは、今、1ポンドで83セントだ。だが、85セント払ってやる」〔これだと、97.5→85なのでマイケル達は大損することになる。空港で90セントになっただけでも、「家を取られてしまう。子供達はどうすりゃいいんだ!」と叫んでいたリチャードが、よくこんな話に乗ったかと不思議だ〕。ミミが、「どうして?」とロシア人に尋ねる(1枚目の写真)。父にも、「85セントは83セントより高いよね?」とダメ押し。ロシア人:「野生児は黙らせとけ!」。ロシア人は、さらに、「75セント以下にはならんと保証しろ」と言う。リチャードは、すぐに「します」と言うが、マイケルは、「保証などありません。これは投機です」と筋を通す。ロシア人は、「投機だとは承知しとる」と笑う〔ただし、「保証などありません」の部分についてOKしたわけではない→後で 問題となる〕フランス版では、損をしないような形で売りつけるが、アメリカ版では大損をしてまで売り付ける。そこのロジックがどうしても分からない。それに、このような場にミミを連れてくるような筋書きにしたことも失敗〔場違いだし、ミミがいる必然性は何もない〕。ロシア・マフィアの扱いは、2つの版で大きく違うが、その違いは、この最初の一歩から現れている。リチャードは、「お支払いはいつですか?」と尋ねると、即刻現金入りのアッタシュケースを見せられる(2枚目の写真)。その金に危険を感じたマイケルは、外で相談したいと申し出て許可をもらう。ドアから出たマイケルが、リチャードを「頭が おかしいんじゃないか? ロシア・マフィアの金を洗濯する気か?」となじる。リチャード:「そうさ。アイロンまでかけてやるよ」。ミミ:「あいつ、バラドゥだ」〔バラドゥは、最初の頃、吹き矢で仕留めた巨大な毒蛇〕。マイケル:「その通り。おいで、ミミ。行こう」。ロシア人が現金を見せるのは、フランス版では3回目に会った時。それが、アメリカ版では1回目でもう見せている。だから、映画の中での相対的な位置は相当異なっていて、フランス版ではミミがリチャードの家に預けられてから、現金を見せられる〔もちろん、ミミはいない〕。現金を見た後の言動は、両方とも同じ。ただ、フランス版ではリチャードがくどくど言い訳する〔アメリカ版では、2度目にロシア人と会う時の言い訳に転用〕。
  
  

リチャードを放っておいて魚市場を出た2人が行った先はセントラル・パーク。父は、都会らしさを教えようと、屋台でホットドッグを食べさせる。「これが、アメリカだぞ」(1枚目の写真)。「トカゲの内臓みたい」。それを聞いた父は、気持ち悪くなってホットドッグをゴミ箱に捨てる。公園に集う多くの人々。「この村には、いろんな部族がいるんだね」。公園の一角では、大勢が踊っている。音楽を聴きつけたミミは、中に入って踊り始め、父を無理矢理誘って一緒に踊る(2枚目の写真)。この2つのシーンは、フランス版にないプラスα。アメリカ版は、トカゲの内臓にこだわっている〔グアテマラでイグアナの内臓が食用との記事は見つけたが、おいしいとは…〕。踊りのシーンは、ミミらしさがなく、都会の若者になってしまったようで、興を削がれる〔運動靴を生まれて初めて履いたのに、フランス版と違って痛がらず、平気で踊っているのも変〕。
  
  

2人は、父のマンションに戻る〔玄関に入ると、父が、「靴にもそのうち慣れる」と言うが、あれほど踊りまくった後だけに、白々しい〕。朝からバスに閉じ籠もっていたシャーロットが、「巨大グモに襲われてるの!」と大声で助けを呼ぶ(1枚目の写真、矢印はタランチュラ)。父は、ミミに捕まえさせる。騒ぎが終わってから、マイケルはミミを擁護する。「あの子には、ペットなんだ」。「そんな違うわ。犬はペット。猫もペット。あの子には、サプリメントでしょうけど」。「バルコニーから出さないようにする」。「部屋の中に卵を産みつけてるかもしれないわ」。「消毒すればいい」。「1つでも見逃して、それが大きくなって寝てる間に耳から這い込み、頭の中に卵を産んだらどうするの?」。シャーロットは、迎えに来たビデオ・スタッフと一緒にスタジオに逃げるように出て行く。前半の蜘蛛のシーンは、フランス版とよく似ている。台詞もほぼ同じだが、少し誇張されている。誰もいない部屋にミミが座っている。そして、入ってきた父に、「シャーロット 頭に来てた。僕を嫌ってる」と悲しそうに言う。さらに、「パリクーは、どうしてバブーンを捨てたの?」と訊く(2枚目の写真)。「軽く見たからかな〔I probably took her for granted.〕」。「で、今度は、シャーロットにも?」。「そうだ」。「この村、女性いっぱいいるじゃない。なぜ、1人だけ選ぶの?」。「選んだ相手を愛すると、がらっと変わる。いつも目の前に彼女の顔が浮かぶんだ。だから、他の女性なんか見えなくなる」。「シャローットに好かれるよう、頑張ってみるよ」。後半の部分は、ミミの性格付けが違っている。フランス版のミミはシャルロットへの配慮など一切見せないが、アメリカ版のミミは父を理解しようとし、シャローットに配慮する。そういう意味では、ホーム・ドラマ的。
  
  

翌朝、父は、ミミをリチャードの家に連れていく。ここでミミはカレンと再会。カレンの母が、「よろしく、ミミ・シク」と、はっきりわかるような英語で話しかける(1枚目の写真)。マイケル:「一晩預かってもらえて感謝してもし切れないよ。お陰で、シャーロットと一緒に過せる」。ミミと再会でき、カレンは如何にも嬉しそうだ(2枚目の写真)。ここで、マイケルが、「リチャードは在宅?」と訊き、「朝早く会社に」との返事を経て、シーンは会社のリチャードに変わる。そこでは、コーヒーの価格が、1週間前の最高値97.5セントから下がり続け、今日の先物相場では68.5セントまで下げたとのニュースが流れる。ロシア人の言った「75セント以下にはならんと保証しろ」をかなり下回っている。電話がしつこく鳴り、それをリチャードが怖そうに覗いている。場面は、もう一度 リチャードの家に戻り、カレンの弟が、「ミミ・シクなんてダサい名前だ」と憎まれ口を叩く(3枚目の写真)。カレン:「ミミ・シクって いい名前だと思うわ」。「だろうね」。アメリカ版では、フランス版以上に、リチャードの家は謎だ。かなりの敷地をもつ立派な家で、ニューヨークの郊外で、リチャード程度の職業と業績で持てるような代物ではない。フランス版では、シャルロットのためではなく、仕事のためにリシャールの家に預けられるが、ミミとソフィーは初対面なので、ミミの野生児ぶりは姉弟からバカにされる。アメリカ版ではバカにするのは初対面の弟だけ。姉のカレンとの間には、お互いに「恋心」が育ちかけている。
  
  
  

ミミは、すぐに熱帯魚の水槽に目を留める。カレン:「それ、お父さんの魚なの」(1枚目の写真)。彼女は魚の名前がうまく言えない。母が「poecilia latipinna(セイルフィンモーリー)よ」、と助け舟を出す。ミミが、「僕ら、リシって呼ぶ」とカレンに教えると、「私、その方が好き。言い易いから」(2枚目の写真)。弟は、呆れて聞いている。フランス版では、出社前のリシャールがミミに熱帯魚を自慢する。娘は、この時点ではミミのことなど眼中にない。奥さんが、キッチンでお昼の用意をしていると、ミミが入ってくる。「お魚好き? ランチはお魚料理よ」と言って、冷凍食品の紙箱を見せる。中から1個取り出したミミは、少し齧ってオエッと吐き出す。「これ魚じゃない。おいしくない」と言ってキッチンを出て行く。ここは、フランス版とほぼ同じ。ここで、マイケルとシャーロットの食事のシーンへ移行。そこに、リチャードが割り込む。そこで、リチャードは、①魚市場で分かれてから、サイン偽造して、ロシア人にコーヒーを売ったこと、②コーヒーの価格が75セントを割ったことを話す。マイケルは、ロシア人と会って現金を返すことにし、シャーロットとのせっかくの昼食もフイになる。ロシア人との関係は、フランス版と大きく異なる。フランス版でも、現金入りのアタッシュケースをロシア人にそのまま返すが、それは一番最後。しかし、アメリカ版では、現金を渡された翌日にもう返却する。ここで場面は、もう一度、リチャードの家に。昼食の用意ができてもミミがいない。奥さんが捜していると、弟が、「ママ、ミミが悪いコトしてる!」と教える。それを聞いた奥さんが庭に出て行くと、ミミは芝生の上で火を起こし、串刺しにした魚を食べている。「それって、面白そうね?」と恐る恐る声をかけると、「ホントの魚焼いたんだ。食べる?」と串を差し出す。奥さんは、「何にでも挑戦しないとね。いつもそう言ってるの」と言って1匹抜きとって食べてみる。「おいしわね。どこで手に入れたの?」。その時、家の中から弟が飛び出てきて、「ママ、そのターザン、パパの魚 食べてる」と通報。このユーモラス、かつ、悲惨な場面は、そのまま生かされ、尾ひれがついている。フランス版では「食べる?」と訊くだけだったが、アメリカ版では奥さんが食べてしまう。ここで、場面は魚市場に。リチャードは、マイケルに、勝手に契約したことの言い訳をしている。「子供を養ってる」。「僕もだ」。「だがな、ウチのはナイキとニンテンドーを欲しがるが、そっちは吹き矢とキャットフードだ」。この場面は、先に述べたように、フランス版では、1日前に使われた台詞。元は、「ソニーやニンテンドー。バナナやキャット・フード」だった。吹き矢はミミの持ち物なので、例としてあげるのは不適切。バナナの方が良い。キャビアをさばいていたロシア人は、コーヒーの価格が70セント以下だと示唆する。マイケルは、「我々もショックを受けています。あなたにコーヒーの先物をお売りしたのは間違いでした。買い戻させて下さい」と下手に出る。「幾らで?」。「同額。100万ドルです」。そして、アタッシュケースを見せる。損を覚悟の返金なので、ロシア人は金を受け取る。前述したように、このようなシーンはフランス版にはない。
  
  
  
  

帰宅したリチャードは、大切な水槽が空になっているのに気付き、絶叫。さっそくミミを呼びつけて文句を並べる。「僕が気付かないとでも思ったのか? ここにいた魚は何千ドルもしたんだぞ!」(1枚目の写真)〔水槽には何十匹も入っていなかった。アマゾン川に生息する熱帯魚一覧の価格表を見ても一番高価なディスカス属は入っていなかった。奥さんが名前を言ったセイルフィンモーリーは、ゴールデンで1匹700円前後。後で、リチャードがcichlid(シクリッド)と言うが、これも1匹1000円前後(1匹4-5万円のフラワーホーンの姿はなかった)。何千ドルはオーバーだ〕。奥さんは、「異文化間の誤解〔intercultural misunderstanding〕」という難しい表現を使って、ミミを擁護する。これに対してリチャードは、「なら、僕の可愛い黄色のシクリッド〔上記〕に、そう言ってやれよ。もう聞こえないがね!」と怒鳴る。ミミ:「魚、おいしかったよ」。「そうだろうよ。1万ドルのスシを食べたんだからな」。フランス版では、リシャールは熱帯魚を食べられたことを、こんなにくどくど叱らない。悪いことをしたと思ったミミは、夜、近くの池に行くと、手づかみで魚を獲ってはバケツに放り込む。窓からミミが外に行くのを見ていたカレンは、池まで見に行き、ミミに教わって自分でも魚をつかみ獲る(2枚目の写真)。フランス版では、リシャールの家はセーヌ川沿いにあるので、そこに魚を獲りに行くのはごく自然な行為。アメリカ版では、①手近に魚の獲れる池がある、②なぜか、それをミミが知っている、の2点が不自然だ。カレンが手伝う点も違っている。ミミは焚き火の脇で、カレンの顔にペイントを施し(3枚目の写真)、「君も、ピナリ族だ。どんな名前にする?」と訊く。「決めてくれる?」。「ウクミ。川に降る雨の音」。「素敵ね」。そして、2人はキスを交わす(4枚目の写真)。フランス版では、①そもそも、ミミを軽蔑していたソフィーが遊園地での奮闘で惹かれ、②庭のハンモックでミミと一緒に寝た後、③朝、それが見つかり大騒動、④ミミは一旦父のアパルトマンに戻るが、⑤寄宿学校にやられるソフィーからのSOSを受けセーヌ川をカヌーで下り、⑥ソフィーと一緒に駆け落ちし、⑦漂着した林の中で火を焚き、顔にペイントを施しウクメと名付ける。新たな名前を持つのは、駆け落ちして両親と訣別することを意味している。それが、②~⑦がなくていきなりピナリ族になるのは、唐突すぎるような気がする。
  
  
  
  

翌朝、起きてきたリチャードは、娘がミミと一緒にハンモックで寝ているのを発見(1枚目の写真)、再び絶叫する。2人を家の中に連れて来たリチャードは、娘に、「お前は、直ちにキャンプに行きなさい。問答無用だ」と命令。カレンは、母に、「私、何もしてない」と主張。ミミは、「僕、何が悪いか分からない」。リチャードは、「何が悪いか言ってやる。君は、庭で火を燃やし、可愛い黄色のシクリッドを食べた。そして12歳の娘を誘惑した〔putting the moves on〕」。カレン:「そんなの間違いよ。私が彼を誘惑したの!」(2枚目の写真)。「聞き違えたんだよな」。リチャードの怒りは収まらない。水槽を泳ぐ淡水魚に気付くと、「これで、気分はサイコーに良くなった」と皮肉たっぷりに言う(3枚目の写真)。カレンは、無理解な親に怒って走り去り、ミミは、「僕、まだ、何が悪いか分からない」と言って(4枚目の写真)、奥さんに連れて行かれる。ハンモックのシーンは、フランス版と同じだが、時系列は、1つ前の節で述べたように全く異なる。発見者も父親でなく母親。その後のリアクションも全く異なる。また、フランス版では母親が非難の急先鋒だが、アメリカ版ではリチャードに変わっている。
  
  
  
  

情勢が大きく変わる。大騒動の後 リチャードに電話が入ったのだ。それは、ロシア人に全身打撲を負わされて入院中の仲介人からのもので、今朝、コーヒーの価格が暴騰し、ロシア人は騙されたと思っているというものだった。そして、証券を奪いにリチャードの家に来ると示唆。リチャードは、家の中を駆け回り、至急外出の準備をするよう命令する。しかし、心を傷付けられたカレンは部屋に閉じ籠って出ようとしない。リチャードが理由を言わずに開けろと怒鳴るので、カレンもかたくなになる。何度もドアに体当たりするがドアはびくともしない。そのうち、ミミが、壁を登ってベランダ側の扉をノック。カレンは喜んで迎え入れる。カレンはミミに抱きつくが、ミミはドアの外から「カレン、今すぐ開けろ! 聞こえんのか!」と怒鳴るリチャードの声が気になる。「君の父さん、頭にきてるね」。カレンは、「開けないわよ!」と父に応酬。激怒した父は、「開けないとどうなるか知ってるか? アンドリュー〔弟〕に燻(いぶ)し出させるぞ!」と脅迫する。中では、カレンは平気な顔をしているが、ミミの顔は不安で一杯だ(1枚目の写真)。そこに、SOSの電話を受けたマイケルが車を飛ばして到着。カレンが部屋に閉じ籠もっているという話を聞き〔ミミが中にいるとは知らない〕、2人で体当たりする。ところが、部屋の中では、ミミが、「バブーンが来た。平和をもたらしてくれる」と言って、ドアを開ける。その瞬間に体当たりしてきた2人は、勢い余ってベランダまで突進し、そのまま柵を破って落ちて行く(2枚目の写真)。このシーンは、アメリカ版独自のもの。ミミがソフィーの部屋に窓から入って、救い出す場面はあるが、その後2人は駆け落ちする。1枚目の写真でミミが見せる表情は、フランス版のミミなら考えられない。こんなことで困惑するようなヤワな野生児ではない。アメリカ版のこの前後は最もホーム・ドラマ的。だから、ミミはカレンを想い、その父親から拒否された 普通の13歳の少年に過ぎない。だから、不安にならざるを得ない。2人の父親がベランダから落ちるシーンを含め、映画の真の主役が、ミミから、マイケルとリチャードに移っている。
  
  

こうして余計な時間を費やしている間に、ロシア人が到着する。リチャードの一家は一箇所に集められるが、マイケルとミミは見つからずに済んだ。ロシア人は、リチャードに証券を寄こすよう脅し、アンドリューがそれを聞いて簡単に隠し場所を教える。証券を奪ったロシア人に対し、リチャードは、「それを持って、わが家から出て行ってくれ」と言うが、事はそんな簡単には行かない。ロシア人は、「俺をコケにしたらどうなるか教えてやる」と言い、リチャードをイスに縛り付けさせる。それを窓から見ていたミミは、壁を伝って2階から侵入し、タランチュラを手に そっと近付いていく〔この場面でも、蜘蛛は模型のように動かない〕。ロシア人は、「俺を騙そうとした。今度は、お前が払う番だ」と言って大きなナイフを取り出す。指を切る気だ(1枚目の写真)。その時、2階の吹き抜けの手すりの隙間から、ミミがタランチュラをロシア人の背中に放り投げる〔ミミが手すりから出す時は、蜘蛛が動いている〕。タランチュラは背中から、ロシア人の禿げ上がった頭のてっぺんに登る。変な感じがするので、近くの鏡を見たロシア人は、蜘蛛が大嫌いなので真っ青(2枚目の写真)。「蜘蛛を殺せ!」と命じられた部下が大事なペットに手を伸ばしたので、ミミは2階から部下に飛びかかる。その後、一家を交えての乱闘を経て、ミミは、部下の1人の首に親指を当て、ピナリ族の失神術で相手を倒す(3枚目の写真)。それを見たマイケルは、もう1人の部下の首を押すが、効果なし。逆に首を絞められていると、ミミが近付き、「バブーン、親指ダメな時は、ピナリはこうするんだ」と言って男の股間を蹴る(4枚目の写真、いい映像がないので、矢印で示した)。かくして、ロシア人は、証券を返却し、退散した。フランス版とアメリカ版で、ロシア人の扱いが最も違う部分。それでも 写真に赤枠が少ないのは、①1枚目の写真は、フランス版の「現金を返すタイミングが遅れた制裁に息子の指を切ろうとする場面」に近いため。②3・4枚目の写真では、ミミの対戦相手は全く違うが、行動(親指を当てと股蹴り)が同じため。
  
  
  
  

1件落着し、ミミとカレンは庭のベンチで仲良く座っていたが、リチャードが、「カレン、中に入る時間だ」と別れるよう強制する。ミミは、部屋の窓越しに見送るカレンを悲しそうに見る(1枚目の写真)。マイケルは、その後、ミミと一緒に自由の女神を見に行く。その船の中でも、ミミの表情は冴えない。そして、「ウチに帰りたい」と言い出す。ミミ:「僕、長(おさ)にはなれない」。「何故なれないんだ?」。「自由の女神から火が取れなかった。火は本物じゃない」。そして、「パリクーに会いたい」(2枚目の写真)と言う。フランス版では、ミミがソフィーとハンモックで一緒に寝て、リシャール家を追い出された後、父と焚き火をしながら話し合うシーンで、唯一ミミが寂しげな顔になる。しかし、その後は、ミミが如何にソフィーが好きかの話に移る。アメリカ版のミミは、ただ悲しんでいるだけ。それは、フランス版には全くない2つ目のシーンでもくり返えされる。課せられた「特別な任務」に失敗して落胆するミミ〔1・2枚目の写真で顔の表情がワン・パターン〕。ただ、こちらの方は、自分の将来と名誉に関わることなので、悲しむのは当然かもしれないが…
  
  

場面は、いきなり空港に。ロビーにミミと一緒に座った父が、「これを忘れてた」と言って、ロシア人との戦いの時にミミから渡された吹き矢を返そうとする。ミミは、「持ってて」と言い、さらに、「ハエを殺せたら、本物のピナリ族だ」(1枚目の写真)。「練習するよ。そしたら、一緒に狩りに行けるだろ」。「リポ・リポには二度と来ないよね」。その時、カラカス行きの飛行機のアナウンスがある。父は、「渡すものがある」と言って紙袋を渡し、「乗ってから、開けて」。そして、「これもあげよう」と、小さな自由の女神像を見せる。ボタンを押すと、松明の先端からライターの火が。「クールだろ?」(2枚目の写真)〔ライター付きの自由の女神でミミの任務は成功したとみなされるのだろうか?〕。ミミが飛行機の中で、紙袋から取り出した大きな箱の中には、携帯電話だけでなく、ソーラー充電器も入っていた。空港での吹き矢のシーンは、フランス版では、ミミが持っていた吹き矢を父に進呈する形になっている。その他の違いは、ミミが、「リポ・リポ、もう来ない」と言った後、「行くよ。できれば、すぐに」と積極的に答える点。ライターの場面は、こうした課題自体がないので、アメリカ版だけのもの。機内に入ってからミミが見るのは、フランス版では携帯電話本体のみ。アメリカ版では大きなソーラー充電器付き。これは、文句なしにアメリカ版が正しい。リポリポには電気は一切ないので、携帯電話だけ与えても宝の持ち腐れでしかないからだ。
  
  

その後、シャーロットのスタジオに行ったマイケルが、見切りをつけて立ち去るシーンをはさみ、会社での最終シーン。取引場(1枚目の写真)では電光掲示板に95セント台の数字がずらりと並ぶ。社長はそれを見て、「見てみろ、あれを! ぼろもうけ〔clean up〕だ!」と喜ぶ。この状況は全く理解できない。マイケルが購入した価格は1ポンドあたり94.75セント。95セント台では、儲けは1セント弱だ。当初、マイケルは、97.50セントで売ろうとして、「30万ドル。かなりの儲けだ」と言っていた。95台で売って、なぜ「ぼろもうけ」なのか? もう1つ不審な点は、社長が急にリチャードを高く評価し、マイケルのことを「とてつもない厄介者〔colossal pain〕」とこき下ろす点。これまで、そのような兆しはまったくなかっただけに唐突だ。しかも、観客は、ルチャードのお粗末さを見ているので、なおさら納得できない。マイケルは、そんな社長の背中に停まったハエめがけて吹き矢を放ち、見事に射止める(2枚目の写真)。社長は吹き矢の麻酔薬で倒れる。取引場も吹き矢もフランス版にあるので一応黄枠としたが、実際には、局面は全く異なっている。しかも、合理的な説明のつかない改変、というか、改悪だ。
  
  

リポ・リポで。ミミが、母の前で、たどたどしく本を読んでいる。その時、父からもらった携帯電話が鳴る。ミミが電話に出ると、父が、「ハエを射止めたぞ」と話す。「まさか」(1枚目の写真)。「信じないのか? 見せてやろう」。「いつ?」。「今すぐだ」。ミミが岸辺を見ると、そこには父の姿が。駈けていったミミは、父に飛びつく(2枚目の写真)。父は、吹き矢を取り出してミミに渡す(3枚目の写真)。それを嬉しそうに見たミミは、「これで、バブーンもピナリ族だ」と言う。「リポ・リポで暮らすの?」。「しばらくな。狩り、教えろよ」。基本的に、フランス版と同じ。しかし、同じために腑に落ちない部分もある。ミミは、なぜ母から読み方を習っていたのか? フランス版では、空港での最後の会話に、「ソフィーは、きっと 手紙をくれる」。「ボク、読めない」。「パリクーに頼め。きっと、教えてくれる」という部分がある。だから、ミミは読み方を習うのだが、アメリカ版では、ミミが「読めない」というのは、どこにも出て来ない。最後のシーンでいきなり「読めない」という設定になる。フランス版にこのシーンがあるから入れたのだろうが、肝心の前置きが抜けていた。ミミが飛び付くシーンでは、アメリカ版のミミはかなり背が高いので、フランス版のように振り回すことはできない。
  
  
  

「カレン、元気?」。「さあな。自分で訊いたらどうだ?」。そう言う父の目は、こちらに向かってくるモーター付きのボートを見る。そこに乗っているのは、リチャード一家だ。カレンが「ミミ!」と叫んで川に飛び込み、ミミも、カレンに会おうと川に入って行く。川の中で再会を喜び合う2人(1枚目の写真)〔以前、マイケルが来た時は、川にはピラニアが一杯いた。ここは村の前なので大丈夫なのだろうか?〕。岸辺に立つ夫に「パリクー」が手を振ると、マイケルも手を上げて応える(2枚目の写真)。その手には、ミミへのお土産として持ってきた鍋が握られていた。ここまでは、フランス版とほぼ同じ。ただ、フランス版の最後にあったミミとソフィーのキス・シーンはない。エンドクレジットが入り始めると、部族の儀式の場面が流れる。そこでは、ピナリ族の身なりになったマイケルが、村長に促され、赤く焼けた枝を握らされる(3枚目の写真)。ここは、アメリカ版だけの「おまけ」。儀式を見ているパリクーとミミの姿は映るが、リチャード一家の姿は映らない。ひょっとして、マイケルはリポ・リポに残って、3人で一緒に暮らすことにしたのだろうか?
  
  
  

     S の先頭に戻る                    の先頭に戻る
     アメリカ の先頭に戻る               1990年代後半 の先頭に戻る

ページの先頭へ